こんにちは!マルチリンガールわた (🐤@norinoricotton)です😉
突然ですが、
わた
まぁ、そうですよね(笑)
でも実は、世界には「虹の色が7色ではない」と考える人がたくさんいるんです。
しかも、その数が2色なんてところも!👀
あなたや、あなたの周りの人が「常識」だと思っていることが、ほかの誰かにとっては「非常識」だってことが世界にはたくさんあります。
今回は、そんな「非常識な常識たち」をご紹介します!
世界を見る目が変わるかも?😎
世界の虹の色
日本では、「虹の色は7色」というのは、当たり前かもしれません。
そもそも実際の虹で7色を確認したことはありますか?
わた
厳密には、虹の色は人間が目で認識できる可視光のグラデーションです🌈
私は物理や化学にはあまり強くないので、理系の専門的な理屈は省きますね(笑)
ただ、グラデーションである実際の虹を指して「ここからここまでは赤、ここからここまでは黄色」という風に言うのは、あくまで便宜上って言うことです!
「虹=7色」の起源
日本の虹の色の数の起源は、17世紀イギリス🇬🇧に遡ります。
当時のイギリスでは、それまで原色の5色(赤黄緑青紫)が主流でした。
そこで登場!万有引力で有名なアイザック・ニュートンです🍎
彼は他にもたくさんの研究をしており、その一つが光や虹の研究でした。
ニュートンは「虹は光の波長の順に並ぶスペクトル」であり、色は無限にあることは知っていました。
しかし当時、学術的に非常に重きが置かれていた西洋音楽の音階は、1オクターブがドからシの7つ。
キリスト教においても、7は完全かつ神聖な数字でした。
そんなわけで、この数字を自然にも結びつけて、「7」という数字を虹の色として選んだと言われています。
こうしてできたのが、赤、オレンジ、黄色、緑、水色、青、紫からなる7色の虹です🌈
近代化の波に押され、西洋文化や教育が日本に浸透し、今では「七色に光る〜」と言う表現をよく耳にすることがあるくらい「虹=7色」が定着したようです。
世界的には何色が主流?
ニュートンが「虹は7色だ!」と言ったからと言って、イギリス中、または世界中にこの考えが浸透したか、というと、そんなことはありません。
現在では、イギリスを含む欧米圏では6色が主流(赤、オレンジ、黄、緑、青、紫)のようですが、決して画一的ではありません。
「7色」と答える人もいれば「5色」と答える人もいます。
ロシアや中国、イスラム教圏では4色。
アメリカのインディアンであるズニ族のズニ語では5色。
アフリカ南部ジンバブエやザンビアに住むショナ人のショナ語では3色。
台湾のブヌン族が話すブヌン語では3色。
中部アフリカの中央アフリカ、チャド、コンゴに住むサンゴ族のサンゴ語では2色。
同じく中部アフリカのカメルーンに住むバサ族のバサ語では2色です。
そう。今、初めて目にした民族名も多いはず。
でも少数言語の研究・開発・記録を行なっている非営利団体、国際SIL、Ethnologueの統計(2017)によると、
ズニ語話者は1万人、ショナ語話者は1,000万人、ブヌン語話者は5万人、サンゴ族話者は500万人、バサ族語話者は23万人いるんです。
決して少なくない数の人たちにとって「虹の色=7」は常識ではないのです💡
・虹の色はグラデーション
・虹の色の数に世界的主流はない
ことばが生み出す当たり前
同じものを指しているのに、なぜ色の数が変わってしまうのでしょうか?
それは、ことばとモノの関係性が深く関わっています。
言語の恣意性
近代言語学の父、ソシュールが提言した言語の恣意性が鍵を握ります🔑
しいせい【恣意性】
ソシュールの用語。言語記号の音声面(能記)と意味内容面(所記)との間には自然な結びつきが存在しないこと。
大辞林第三版より引用
ここでいう能記(シニフィアン:signifiant)は、ある言語の単語を指します。
そして所記(シニフィエ:signifié)は、その単語が意味する物体や概念を指します。
例えば、リンゴ「り・ん・ご」という音と、実物のリンゴ🍎の間には、自然な結びつきが存在しない、つまり恣意的にわざと関連づけられた情報である、ということです。
逆に言うと、実物のリンゴ🍎に「り・ん・ご」と言う音を生み出す必然性は何もない、と言うこと。
わた
言語によって違うモノの区切り方・捉え方
🍎は日本語では「リンゴ」、英語ではappleというように、言語によって単語が似ても似つかないというのはザラですよね。
このように単語の違いだけでなく、同じものを指していても、言語によって区切り方や捉え方が違う例をご紹介します!
「水」「お湯」
日本語では、同じH2Oを指す際に、温度によって「水」「お湯」と使い分けます。
でも英語ではどちらもwaterの枠の中でcold/lukewarm/hotなどの形容詞で区別します。
「兄弟」「姉妹」
日本語では、「兄弟姉妹」のように、性別や年齢の上下をはっきり区別しますが、
英語では、年齢をいちいち区別せずにbrother/sisterを使い、性別さえ区別しないsiblingもよく使われます。
「着る」
日本語では「着る」という動詞は、からだ全体、または上半身に衣類を身につける時にしか使えず、下半身の場合は「履く」を使いますよね。
英語のwearはこの限りではなく、下半身や頭部など体に身につけるときは全て使えます。
また、韓国語で「着る」にあたる「입다」は上半身と下半身どちらにも使え、くるぶしから下の靴下や靴のみ「履く」に当たる「신다」を使うんです。
「足」
逆に日本語では、「足」と言えば、大まかに下半身を表しますが、
英語でははっきりと足の付け根からくるぶしまでをleg、くるぶしから下をfootと区別します。
「大麦」「小麦」
日本語では「大麦」「小麦」と麦のグループで一括りにされますが、
英語ではbarleyとwheatという全く違う単語の括りになっています。
虹の色の数も同じ理屈
言語によって、同じモノを指していても、グループ分けや線引きが違うのであれば、虹の色の数にも同じことが言えるはずです。
古い時代の日本語や韓国語では、インディゴブルーのような藍色から、植物の緑色までのかなり幅広い色を指して、全て「青」と言うグループに入っていました。
緑と青をはっきりと区別していた人たちからしてみれば、青と緑を一緒くたにするなんて、とんでもない発想に思えたはずです。
でも現在の日本にも、新鮮で元気な植物をさして「青々としている」と言うことや、緑色の野菜を指して「青野菜」と表現したり、緑色の信号を「青信号」と読んだり、緑のものを「青」と称することに違和感がありませんよね。
色の名前も言語によって、たくさんあったり、そうじゃなかったりします。
虹の色の数に違いが出ても何も不思議ではないのです👀
・言語によって、ことばのグループ分け・線引きの感覚が違う
・色の感覚も言語や文化によって、必ずしも同じではない
世界のいろいろな色肌色?山は茶色?太陽は黄色?
クレヨンに「はだ色」はない?
みなさんは「はだ色」という言葉を使いますか?
きっと多くの人にとって、幼い頃から慣れ親しんだ表現だと思います。
しかし最近の子供たちは「肌色」という色を使わなかったり、知らなかったりするんです。
その理由がこちら。
実は日本では、JIS=日本工業規格が定める色が全部で269もあります。この中には、はだ色は残っています。
ただ、これとは別に、クレヨンや色鉛筆など製品によって使える色名を決めています。JISでは、こうした身近な製品から“はだ色”という色名を使わないことにしたのです。
色鉛筆は平成12年、クレヨンと絵の具は平成19年、もうかなり前のことだったんです。
現在は、「うすだいだい色」や「ペールオレンジ」に置き換えられているそうです。
うすだいだい色ではない肌の色の人にとって、一方的に「肌色」と名付けられた色は、ただただ違和感や抵抗を感じる名称のはずですよね。
山は茶色?太陽は黄色?
小さい頃、絵を描くときは自分も含めてみんな「山は茶色、太陽は黄色」が普通だったのに、一時帰国したとき、今度はみんな「山は緑色、太陽は赤」で描いていて、驚いたのを覚えてる👀 文化によっては、虹が7色だったり、5色だったり、2色だったり🌈 「肌色」の名称が変更されたのは良い動きだと思う。 https://t.co/FGn8Tt2ejH
— わた@マルチリンガルブロガー (@norinoricotton) 2018年5月26日
ペルーでは、「山は茶色、太陽は黄色」が当たり前なのに、日本では「山は緑色、太陽は赤」でした。
日本に一時帰国した時、周りの友達が自分とは違う色で山や太陽を塗っていて、戸惑いました。
確かに日本の山は、ブロッコリーの山のように青々と茂っています。
でもペルーの山はアンデス山脈。
リマ近辺の山も、木々は生えていない砂山なので、茶色なんです。
まとめ〜当たり前は必ずしも当たり前ではない〜
今回は、虹の色の数から、世界の様々な色に関するトリビアをまとめてみました。
あなたの当たり前は、地球の裏側の人にとっては決して当たり前ではないかもしれないのです。
そう考えると、自分と違う言動や意見に出会っても、なんだか寛容な気持ちになれる気がします。
この記事を読んで、世界を見る目が変わったかな?😎
わた