わた
さて、「帰国子女」と聞くとき、皆さんはとっさにどう思いますか?
いかがでしょう?
私が多くの日本人の「帰国子女観」に初めて触れたときは、すごく違和感がありました💦
それは、良くも悪くも「帰国子女」というステレオタイプ像に当てはめているからだと思います。
今回は、帰国子女である私の目線から、帰国子女の実情を少しだけご紹介します。
私の言語習得についてはバイリンガルが帰国子女マルチリンガル になるまでもご覧ください😊
【マルチリンガルへの道①】バイリンガルが帰国子女トライリンガルになるまで
【マルチリンガルへの道②】帰国子女トライリンガルがマルチリンガルになるまで
日英バイリンガルで当然?
大学生だったころ、私が帰国子女ということが明るみになるやいなや、十中八九、
と言われたものです😅
帰国子女なら日本語と英語がどちらもペラペラで当然という概念は、おそらく「海外=英語」という考えに基づいているのだと思います。
つまり「日本以外の国は全部英語なのだから、海外に住んでいた人は当然英語が話せる」と。
「海外=英語」はあまりに短絡的
確かに英語は、政治・経済・外交・教育・文化など多岐にわたって公用語としての国際的な地位を確立しています。
しかし、実生活において英語が使われている国や地域はおよそ80、人口で3億7千万人です(Ethnologue:2017)。
世界にはおよそ200ある国や地域があるので、半分以下の国や地域でしか話されていません。
世界人口比で言えば、わずか4.8%です。
逆に、これ以外の国や地域では、英語が話されていないのです。
世界には非英語圏の国の方が多いんです!!
わた
また、私がペルーで話していた言語はスペイン語です。
現地で生活するほとんどの人が、日本と同様、英語を使うことはありません。
幼少期、スペイン語を話す人が身の回りにたくさんいて、また普通のペルー人と同じように現地校に通うことができたので、私はスペイン語をネイティブとして習得することができました。
もし、ペルーに住んでいながら、あまり現地の人と交流がなく、現地校に通っていなかったら、私はスペイン語を習得できなかったと思います。
英語については、たまたま英語に触れることのできる特殊な環境にあったので、英語を習得することができました。
しかし、これもまた、その特殊な環境がなかったら、英語を習得できなかったと思います。
「一つの言語が話せる」の裏には
日本語についてですが、「日本人であれば、日本語が話せる」というのも、必ずしもそうではありません。
もちろん「話せる」というのを、
- 「よく使われる日常的な表現や言い回しは理解でき、使うことができる。」(A1レベル)
- 「自身の専門分野において技術的なディスカッションを含め、抽象的な話題でも具体的な話題でも複雑な文章の大まかな意味を理解できる」(B1レベル)
- あるいは「どんな複雑な状況下でも一貫して言葉のニュアンスの違いなどに気を配りながら流暢に正確に自己表現ができる。」(C2レベル)
人によって思い浮かべている像は違うと思います。
ただ一つ言えることは、海外で育った場合、ネイティブレベルの日本語を話せるということは、決して簡単なことではない、ということです。
要は、日本で普通に育って英語がペラペラに話せるのと同じぐらいハードルが高い、ということです。
このように、ある人が「一つではなく、さらにもう一つ、ないしはそれ以上の言語を話せる」という事実の裏には、たくさんの背景があるかもしれないのです。
親が日本人なら日本語が話せる?
母は、幼い私を連れてペルーに渡った際、
わたママ
と思っていたそうです。
確かに家庭内で父、母、兄と話す際は日本語で、日本語は自然に身につきました。
しかし、日本にいたら普通に触れているであろう文化や社会、慣習に関わる単語は、能動的に知ろうとしない限り、一切身につきません。
20年前のペルーには、地下鉄や電車はありませんでした。
電車に乗る行為に付随する駅、切符、改札、時刻表、指定席、自由席、優先席などの単語も、駅や電車内のアナウンスも、電車の正確さも、実体験として経験できません。
ペルーのトイレには、基本的にウォッシュレットはついていません。
ウォッシュレットという単語はもちろん、温かい便座という「当たり前」も、音姫も実体験として経験できません。
ペルーには神社がないので、当然初詣はありません。
初詣という単語も、それに付随するおみくじやお賽銭などの単語も実体験としてに経験できません。
ペルーの飲食店では、おしぼりも、お冷も、出てきません。
エスカレーターの片道空けルールや、
エレベーター内では無言で軽く会釈をして、開閉ボタンに一番近い人が、出入りする人のためにギリギリまでボタンを押し続ける、などの思いやりマナーもありません。
数えだしたらきりがありませんが、日本に住む日本人が当たり前に口にする言葉や、何気無しにとる行動は、思いの外、海外にはないのものです。
「帰国子女」はただのいちアイデンティティ
私はペルー育ちの帰国子女ですが、当然ながら世界には、あるいは日本には、
アメリカ育ちの帰国子女も、フランス育ちの帰国子女も、ロシア育ちの帰国子女も、アフリカ育ちの帰国子女も、フィリピン育ちの帰国子女も、中国育ちの帰国子女もいます。
ペルー人ではなく、日本人である
育った国も、育った環境も人それぞれ違うので、あくまでも私の場合ですが、幼少期は、周りに家族以外に日本人がいなかったので、一歩家を出ると、そこは自分だけが異色の存在でした。
どんなにスペイン語がペラペラのネイティブでも、顔はアジア系なので、明らかに外国人。
知らないペルー人と初めて会うときは、まずスペイン語がペルー人同様に話せることに驚かれ、自己紹介の際は、名前がペルー人らしくないことと、発音しにくいことに言及され、
「日本とペルー、どっちが好き?」と、一言では回答できない質問をされたものです。
慣れ親しんだ街での生活で、すごく馴染んでいるはずなのに、常に自分が異質である、つまりペルー人ではなく、日本人である、ということを意識してきました。
もちろん、外国人があまり住まない地域に住んでいたこともあって、好奇の目を向けられるのは仕方ないことだと思いますが、
さすがに思春期の頃は、外出するのが億劫でしたね(笑)
そして、日本に帰ってきて思ったこと。
わた
本当に至って当たり前なのかもしれませんが、
「日本人なのも、日本語を理解できるのも、基本的に自分と家族だけ」が当たり前だった私にとっては、なかなかの新鮮さでした。
そして、新鮮に感じるとともに、とてもとても心地が良かったです。
ここでは、異質ではなく、珍しがられることもなく溶け込めている、と感じました。
本当に始めだけでしたけどね(笑)
普通の人か、出た杭として打たれる人か
それから数年が経ちました。
大学を卒業し、社会人になり。
帰国子女だと明かさない限りは、地域の方言ではなく標準語を話す「普通の人」として溶け込むことができたと思います。
確かに、自分が日本において異質である、ということは日々、とまでいうと大げさですが、
事あるごとに感じているところです。
でも、ペルーにいた頃の自分とはまた違った異質感です。
だって街で変な目で見られる事も、いきなり「日本とペルーどっちが好き?」と聞かれる事もありませんから。
でも日本には、出た杭は打たれて当然、という考えが根強いように思います。
「帰国子女」は私にとって、ただのいちアイデンティティにすぎません。
出身地や、性格や、嗜好など、自分のことを話す際のいちキーワードに過ぎないのです。
おわりに 〜自分とは違う誰かに会ったとき〜
要は、「帰国子女」の人を「帰国子女」だからと言って、
自分が思い描くステレオタイプな「帰国子女枠」に自動的に当てはめないでほしい、
ということです。
もちろんこれは「帰国子女」に限らず、人によっては「外人」や「中国人」や「韓国人」や、「男性」や「女性」や「LGBT」かもしれません。
「海外で育ったのに、日本語がペラペラなのはすごい」
「日本人なのに、日本語が変。やっぱり帰国子女だからね」などと言った感想を持つな、とは言いませんが、
自分とは違う誰かに出会ったとき、その人の背景を少し想像し、考えてみるきっかけになればいいなと思います。