わた
インフルエンザが大流行していますが、みなさんお元気でしょうか?
さて、このブログで何度となく「わたは帰国子女!」とうたっているわけですが、
わたが16年間住んでいたペルーと聞いても、いまいちピンとこない方が多いのではないでしょうか?
今回は、地球の裏側、わたの第二の故郷であるペルーについてご紹介します!!
ペルーってどんな国?
ペルー共和国 (República del Perú)
首都:リマ (Lima)
公用語:スペイン語、ケチュア語、アイマラ語
人口:3,300万人(日本の約1/3)
国土:1,285,220km2 (日本の約3倍)
私が「南米ペルーに住んでいたんですよ〜」と話すと、十中八九、
と言われます😭 悲しい。
わた
ペルーは南アメリカ大陸に位置し、太平洋に面しています。
日本とは海を挟んでお隣さん、というわけですね。
首都リマは人口800万人で、南米ではブラジル・サンパウロの1200万人、メキシコ・メキシコシティーの900万人に次ぐ第3位です。
日本国土の3倍あるだけあって、本当に広く、また自然豊かな国です。
砂漠あり、山脈あり、ジャングルあり
ペルーは気候により3つの地域に分けることができます。
Costa
Costa(コスタ)と呼ばれる沿岸地域は、太平洋を臨むビーチが続き、またそれに続き砂漠地帯が広がります。
南米を南北に貫くパナメリカーナ幹線道路がこのCostaを通るのですが、街を離れると、道路以外は、もうただただだだっ広い砂丘が続きます。
私が住んでいたリマはこのCostaにあるのですが、年間降水量がわずか数ミリ!
雨がまったく降りません。当然、台風も来ないし、雷もありません。
日本では、庭は放っておいたら雑草だらけになりますが、リマの庭は放っておいたら、ただの砂場になります(笑)
冬になけなしの霧雨が若干降るぐらいなので、傘をさしたことがないリマ市民がほとんどです。
私も例外ではなく、高校を卒業して日本に来てすぐは、雨が降る日が嬉しくてしかたありませんでした。
わた
世界遺産、ナスカの地上絵もこのCostaにあります。
砂の上に書かれた巨大な絵が何百年たっても消えないのも納得ですよね。
ペルーは赤道に近いので、確かに日差しはすごく強いのですが、南極からフンボルト海流に乗って流れてくる冷たい海水のおかげで、夏(12月〜3月)でもそれほど暑くありません。
高くて30度ぐらいでしょうか。
湿度もないのでカラッとしているので、屋内や日陰にいれば、快適そのものです。
また冬(6月〜10月)は非常にジメジメしているのですが、気温は低くて15度ぐらいなので、長袖の服が一枚あれば、大抵はしのげます。
日本でいうはっきりとした四季はない上に、寒暖差もそこまでひどくないので、衣替えという概念もありません。半袖はなんだかんだ一年中着られるのです。
Sierra
Sierra(シエラ)はアンデス山脈がある地域を指します。
ペルーの地図を動物の体に例えると、ちょうど背骨のような場所にあります。
6,000メートル級の山々が連なるアンデス山脈は非常に過酷な環境ですが、世界遺産でもある天空の都市マチュピチュもここにあります。
また、日本でも大人気のアルパカさんや、リャマさん、そのほか日本ではあまり知名度のないビクーニャさんたちが野生で暮らしていますよ。
ちなみにみんな、ラクダ科です!いわゆるコブなしラクダですね。
Selva
そしてSelva(セルバ)はペルー国土の60%以上を占める熱帯雨林のジャングルが広がる地域です。
流域面積では世界最大の河川であるアマゾン川も流れています。
アマゾンというとブラジルを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、その源流はペルーのアンデス山脈にあるのです。
アマゾンの生態系は非常に豊かで何千種もの動物たちが生息しています。
ちなみに私が小学生のときの修学旅行先がこのSelva地域の都市Iquitosだったのですが、
ジャングル体験で、アナコンダを首に巻いたり、ナマケモノの赤ちゃんを抱っこしたり、タランチュラを手で持ってみたり、ピラニア釣りをしたり、となかなかサバイバルでした(笑)
(注:アナコンダを首に巻いた友達は、運悪く服に糞尿をかけられました。注意が必要です。ナマケモノはすっごく臭いです。タランチュラは大きくて毛むくじゃらです。トリのささみで釣ったピラニアはその日の晩ご飯の焼き魚になりました。)
私が体験したアマゾンへの修学旅行についてはこちらもどうぞ😎
未開の南米アマゾンでジャングル探検ツアー?《日本人学校の修学旅行》
歴史の光と陰、そして今
ペルーで文明が登場したのは、はるか昔紀元前3000年ごろで、複数の文明の栄華衰退の繰り返しの結果、南米をすっぽり覆ってしまうほどの大文明インカ帝国が花開きました。
その文明の片鱗が今でもペルーの各地に残っているのです。
というのも、ペルー、特にマチュピチュがあるクスコは、全盛期のインカ帝国の首都であり中心地だったからです。
15世紀、スペイン人が金や銀を目当てに侵略してきました。
「黄金の国」と呼ばれていた由来ですね。
内戦で弱体化していたインカ帝国を圧倒的な軍事力と巧みな話術で征服し、当時のトゥパク・アマル王を処刑し、最後の皇帝をなくしたインカ帝国はスペインの植民地となったのです。
国も言葉も財産も信仰も奪われた250年の支配を経て、1821年7月28日にペルーは独立宣言をしました。
今日も、7月28日は独立記念日として祝日です。
南アメリカ全体を250年間統括していたペルー副王領の首都はリマでした。
現在の大統領府や政府機関が位置するリマの旧市街や、歴史のある地方都市では、今でもその名残が色濃く残っています。
歴史を感じさせる古い建造物がまだたくさん残っているので、まるでスペインにいるような錯覚を起こすぐらいですね。
ペルー国歌 “Somos Libres”
ペルー国歌 “Somos Libres”(私たちは自由だ)は、苦しみに耐えた末に自由になったのだという思いの込められた国歌で、ペルー国民に親しまれています。
この国歌は7番まであって、全部歌うと非常に長いのですが、愛国心からか、ペルー人なら小中学校のときに必ず歌わされるので、少なくとも1番はしっかり歌えます。
わた
もしかしたら「君が代」よりペルー国歌の方が歌った回数が多いかもしれません。
迫力のある曲なので、ボリュームに注意して是非聞いてみてください。
ちなみに下の動画は6番までで、11分越えしてますね(笑)
さいごに
地球の裏側の遠い国ペルー、少しは身近に感じていただけたでしょうか?
私が最後にペルーに帰ったのは4年も前なので、この記事を書いていて、また帰りたくなってきました(笑)
ペルーにも「帰る」、日本にも「帰る」というので、なかなか変な感じですが、また近いうちにいけたらいいな、と思います。
ちなみに、ペルーで一番有名なマチュピチュに、わたは行ったことがないんですよ😅
日本人でも富士山に行ったことがない、というのと似た感覚でしょうか。
いつでも行けるしな〜って思ってるうちにペルーを離れることになってしまったんです。
次回帰る時はぜひ行ってみたいですね(笑)
激うまペルー料理も【グルメ大国ペルー】本場の味を知る帰国子女おすすめの絶品8選でご紹介しているので、こちらもぜひご覧ください♪